ANARCHYの強さとは「嘘がない」言葉にあり。『痛みの作文』書評

カッコいいラッパーとは何か? それは言葉にどれだけ説得力を持たせることができるということに尽きる。ラッパーの言葉はシンガーソングライター以上に歌う人に結びついているからだ。

もちろんスキルやフロウも大切である。だが極端な話、テクニックは練習すれば身につくものだ。ラッパーの言葉の優劣は、作詞のテクニックでは埋まらない部分にこそある。

ANARCHYの出身地である京都・向島は別名“シンナー島”と呼ばれていた。彼がまだ小学生の頃、シンナー工場があったからだ。容易にシンナーが手に入る環境だったため、若者にも中毒者が続出していたという。お世辞にも治安が良い町とは言えなかった。

そんな環境の中でANARCHYは中学生にしてヒップホップと出会うが、その後衝撃的な事件をきっかけに暴走族になることを決意する。


<CHAPTER3:オトン、オレ暴走族やるわ>

「洗礼」より

オレらは毎日のように暴れた。暴れてないと年上にヤラれるから。ケンカしにいくか単車いじるか。(中略)街に一週間単車の音が聞こえへんかったら地元の先輩に集合させられる。それで顔面割られる。暴走族に入る時も全員ド突かれてから入る。オレら全員並んだところで「全員ド突かれる根性あんの?」って言われて、「お願いします」って。それで全員ボコボコにド突かれて「ありがとうございましたっ」って。めっちゃ厳しい。


同「ユウジ」より

ボコボコにいわしても、家の前におるタイプ。オレも同じ。納得いかへんかったら、相手の家の前で立っとく。向島のやつは、基本的に全員同じ気持ちやった。オレらより強いやつなんて山盛りいるやろと。(中略)それでも、「絶対負けるな」「次の日いったれ」って言ってた。だから、オレらの中では「負け」ではなかった。一度は負けてしまうかもしらん。けど、最後に勝つのはオレらや。

しかし、ANARCHYはこの『痛みの作文』の中でこうも語っている。

「ただ向島に住んでるってだけのやつならラッパーじゃないし、ただゲトーに住んでるってだけでもラッパーにはなれない。(中略)やってきたことじゃなくて、感じたことで勝負したい。やってきたことには嘘がある。嘘があるって言ったら変やけど、悲しませたやつもいるし、間違ったこともした。でも、感じたことは素直。そこに嘘はない。(CHAPTER5「これがオレの武器なんや」より)」

嘘は言葉の強度を削ぐ。それはラッパーにとって致命的なことだ。

いわゆる“不幸自慢”するラッパーと優れたラッパーの違いは、力のある言葉を持っている否かだ。それはすなわちリアルであるかということにつながる。別に不良であるかどうかは問題ではなく、その人の吐く言葉がリアルであるかどうか。『痛みの作文』には向島で起こったこと、その時に彼が何を感じていたかが親しみ易い口語体で書かれている。

ANARCHYの主張は一貫していて、常にカッコいいかどうかを大切にしていた。それこそがヒップホップであると語っている。自伝の中では自分の行動を悔いる場面も出てくる。だが、その時に感じていたことについては否定していない。

たとえANARCHYに興味がなくても『痛みの作文』を読めば、彼の曲が聴きたくなるはずだ。非常に読みやすい一冊なので、あまり本を読まない人でも気軽に手に取ってもらいたい。


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